諫早市ピアノ教室 講師紹介

上田ゆりえ

 

泣き虫

⼤分県⼤分市で2⼈姉妹の次⼥として⽣まれ育ちました。 

両親と曽祖母と暮らしていました。

私は⼈⾒知りで泣き⾍だったと思います。 

姉がピアノを習い始めたのが羨ましくて、私も習いたい!と親に懇願し6歳からピアノを習い始めました。 

 

好き嫌い

⾷べ物の好き嫌いが激しくて虚弱体質でした。

給食に出たトマトが食べられず昼休みまで残されて、それでも食べられなくて辛かったです。

⼤⼈しい⼦ですが、勉強は真面目にしていました。

音楽や国語が好きでした。

近所の仲の良い友達がいて、帰宅後もいつもお互いの家や外で遊んでいました。

リコーダーを友達と吹いて遊ぶ事もありました。

 

中学〜高校

真⾯⽬な性格の為か、学級委員に選ばれていました。 

吹奏楽部でクラリネットを吹いていました。 

⾼校時代も吹奏楽部でした。

合奏するのがとても楽しかったです。

3年生の時は部長になり、指揮や合奏練習も任されていました。

勉強が難しくなり、ピアノもバッハやソナタがなかな か仕上がらず、苦労していましたが、同級生がどんどん辞めて行く中、私はピアノがただ好きだから続けていました。

 

ピアノの先生

カワイ⾳楽教室の先⽣は転勤などで5人位次々と替わりました。

どの先生も優しかったと思います。

私はピアノが好きだけどそれ以上の欲が無くて、高校を卒業したら就職しようと思っていました。

でも高校2年生の時にレッスンして頂いていた先生からカワイ中央⾳楽学園を紹介さ れました。

それまで自分がピアノの先生になれるなんて思ってもいなかったのですが、その先生に言われてハッと自分のしたい事に気がついたのです。

なれるものなら、なりたい!受験してみたい!と思いました。

2歳上の姉は地元の医療系の専門学校に行ったので、私が家を出て浜松にあるカワイの専門学校に入りたい。

と言い出した時は、きっと両親を困惑させたと思います。

ただ、卒業後は地元に帰ってカワイ音楽教室の先生になれる、という道筋があったので両親も応援してくれることになりました。

それからは受験の為、ピアノの他に電⼦オルガン、⾳楽理論、和声を別々の先生の所に自転車とバスで通って習いました。 

それを吹奏楽部を続けながらこなしていた時が一番頑張ったかな、と思います。

冬で雪の降る寒い日に、バスを降りて音楽理論の先生のお宅に向かう道を歩きながら、好きなことのためだけどキツいなぁ。

とため息をついた感覚を今でも覚えています。

でもあの時諦めないでよかった。

つくづく思います。

 

猛練習

受験前の夏休みにはピアノの練習を多い日で6時間弾きました。

音楽教室の最後のピアノの先生は、声楽が専門だったので、その先生の恩師を紹介して頂いてレッスンを受けました。

今思うと両親は姉の学費も払いながら、よく私の分までこんなにお金をかけてくれたものだ、と感激します。

 

修行の日々

⾼校卒業後、静岡県浜松市のカワイ⾳楽学園に⼊学 

全寮制で短⼤と同程度の内容を⼀年間に詰め込んだ内容でとても濃い⽣活でした。 

ここで初めて厳しいピアノの先生に出逢いました。

音楽は大好きで楽しい。

というだけではプロにはなれないんだと、現実を知りました。

全国から集まった同級生達は、有名音楽大学に入れるようなレベルの人ばかりでビックリしました。

専門学校時代は、親元を離れて暮らす寂しさと早朝練習から始まり夕方までビッシリ詰まった授業と実技の毎日で、しかも全寮制で4人部屋という人見知りの私にはかなりの修行の日々でした。

カワイ音楽教室での全部のコースの指導が出来るように、ピアノ、電子オルガン、基礎コース指導法、声楽、指揮法、ソルフェージュ、リトミック、音楽理論、コード学習、打楽器奏法など沢山の授業を受けました。

沢山あり過ぎてついて行くのがやっとでしたが、好きな授業もありました。

「いぬのおまわりさん」で有名な童謡の作曲家の先生の講義を受けることが出来た時は、曲に託された思いや先生のお人柄に触れることが出来てとても良い経験が出来たと思い、嬉しかったです。

 

生徒数80人のピアノ講師に

地元の⼤分に戻り、カワイ⾳楽教室の講師として3年弱働きました。 

始めは地方の幼稚園での勤務と市内の保育園での新設教室でオルガンのグループレッスンとピアノのレッスンをしました。

地方の教場は市内から電車で1時間半、徒歩で20分の所にありました。

遠くて通うのは大変でしたが、子ども達も可愛くて保護者の皆さんが温かく歓迎してくださるので、喜んで通っていました。

そこはカトリック幼稚園でしたので外国人の神父様がいらして、とても親切にしてくださいました。

市内の保育園教場は、新設の教室でそこに新人の私をよく赴任させたなぁ、と思いますが有り難いことに毎月新しい生徒がどんどん増えました。

こちらの園長先生は厳しい方でしたが、だんだん私を認めてくれるようになりました。

私はグループレッスンの担当が多かったので、多い時で80人弱の生徒を抱えていました。

 

挫折

仕事は順調だったのですが、22歳で結婚した後に両親が離婚することになり、大きな挫折感に陥りました。

環境を変えたくなり、結婚を機にカワイ⾳楽教室を退職しました。

それからは個⼈レッスンでしたが始めはほとんどが出張レッスンでした。

生徒さんのご自宅に行き、ピアノのレッスンをしてお茶を頂いて次のお宅へと。

お母様とお話したりして楽しかったです。

この頃は15人位の生徒さんで、家事もありましたがゆったりレッスンしていました。

カワイの講師仲間の先生達と3人で発表会をしていました。

 

辛かった妊活

結婚は早かったのですが、なかなか子どもを授からず、不妊治療を受けたりもしました。

人生山あり谷あり、で上手く行かないことがあるものだと悩みました。

妊娠していないとわかると毎月涙がこぼれました。

その後4〜5年治療は続き、諦めかけていた28歳。

夫の出⾝地の⻑崎に転居してからしばらくして、体の変化に気づき、もしやと病院に。

不安ながらも診察を受けて見ると、妊娠が判明。

でも、不正出血があり、ダメだったんだと落ち込んでいると主人が、

「まだわからないからちゃんと見てもらってこよう。」と

慰めてくれました。

そんなこんなで、もう一度病院へ。

先生に「妊娠確定です。」

と言われた時は、嬉しいよりもホッとしたのが正直な感想でした

諦めかけていた子宝に恵まれ、主人も本当に喜んでくれました。

 

子育て

29歳で⻑⼥、30歳で次⼥を出産しました。 

結婚7年目で授かった待望の子ども達。

人生でこんなに幸せな事はないと思いました。

子ども達は3歳まではしつけに厳しく、あとは本⼈に任せるような育て⽅をしました。 

32歳で家を建てて、⾃宅でレッスンを始めました。 

⼦ども達の学校や⼦供会で役員をすることが続き、レッスンするのも体がきつかったです。

気持ちに余裕が無くなりイライラする自分が嫌でした。

両親が離婚した事で自分の幸せもいつか壊れるんじゃないか、と不安でいっぱいになる事があり、友達の行くキリスト教の教会に通うようになりました。

聖書を読むと心が平安になり、賛美歌を歌うことや、ピアノを弾く為に音楽の原点を知る機会となり、私の生きる土台が出来ました。

自宅で始めたピアノ教室も気づけば生徒15人。

発表会は一人でするようになりました。

 

体調を崩す

40代〜 30代から続いた、PTA会長や子ども会会長などの役員から解放されて疲れが出たのか、早⽬の更年期障害だったのか、婦⼈科系の 体調不良が出ました。

元々体⼒がないので休みやすみレッスンをしました。 

それでも⻑⼥の進学のため、コンビニなどでアルバイトをして学費を稼ぎました。

慣れない仕事に四苦八苦しましたが良い社会勉強になったと思います。

8年間続けましたが ⽬眩で⼀週間寝込んでしまったので辞めました。 

お陰で娘2人を無事卒業させることが出来ました。

 

 

人間、勇気を出せば何でも出来る。

そう思いますが、その頃はピアノの仕事を生活の為に増やそうとするのは、気持ち的に出来ませんでした。

50代 体調が良くなり、動けるようになりました。 

ピアノの教材研究や指導法の勉強に熱⼼に通いました。 

今もバッハ講座とバスティン教材の勉強を続けながら毎⽇のレッスンを続けています。 

ピアノとVocalレッスンも受けています。 

より良いレッスンをするためには学ばなければ、と思いながら、随分長い間勉強を続けて来たなぁ。と思います。

勉強したことを上手く生徒さんに伝えることが出来た時、生徒さんが楽しそうに弾いてくれた時、とても嬉しくやりがいを感じます。

これからは、ピアノの仕事をちゃんと職業として確立する為に教室を大きくしたいと思います!

2021年に鍵盤ハーモニカの指導資格を取りました。 

最近は大人の方の間でも好まれていますので、楽しめるグループレッスンをしていけたら、と思っています。

 

ピンチはチャンス

振り返ればピンチはチャンス!の人生でした。

虚弱体質で自己肯定感の低い私にしてはよく頑張ってきたなぁと思います。

内向的なので自分からどんどん人の中に入って行く事は苦手ですが、出逢った人達に恵まれて助けられて来ました。

レッスンに来てくださる生徒さんや親御さん達も温かい方ばかりです。

人見知りなお子様も私とは仲良くなってくれます。

良い距離感がわかるからでしょう。

私自身、自信の無さは努力でカバーして来ました。

でも自慢出来る程の成果は出せない事もあります。

頑張れない時もあるから、それはそれで受け止めて、次に頑張れたらいいか!と思います。

ピアノを弾く、という事やそれを仕事にする、という事はずっと努力を続けなければならない。

でもそれが好きな事だから出来ているのかな、と思います。

音楽は心を鍛え人生に彩りを与えてくれます。

そんな素晴らしさをお伝えしたいと思います。

チャレンジを続けると困難な状況は多々ありますが、これまでいつも最悪な事態にはならず、前進して来られたので、これからももう一つ壁を乗り越えて

今までの自分を追い越そうと思います!

 

 

みんな自慢の生徒さんです

・他教室より転入の生徒、ピアノが好きになり楽しんで続ける事が出来てショパンの『革命』が弾けた。真面目にコツコツ練習、レッスンでのアドバイスを忠実に受け止めて練習して学校の合唱コンクール伴奏者に選ばれた。学年一番の伴奏賞を獲得。

・保育士、幼稚園教諭になった生徒5名

・お母様も元保育士さんの方は発表会のプログラムの挿絵を長年書いてくれた。

・高校三年生まで続けた生徒が、二十歳になって成人式に着物姿で挨拶に来てくれた

受験・・・

高校、大学受験は9割が第一志望に合格。

諫早附属中学、長崎東高、青雲高校に合格し東京、大阪、京都、高知、広島の有名大学へ進学

ピアノ教室卒業後も趣味で音楽を楽しんでいる。